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『「応援される」を、文化にする。モノづくりの現場で見た景色』#2
2026-05-03
◾️AMBIENTE’S VIEW #2
「スポーツにお金を使う余裕があるなら、私たちの給料を上げてほしい」
かつて、日本の基幹産業である自動車業界の一人の若手営業マンとして下積みの日々を送っていた頃。私はそんな切実で、そして至極真っ当な「本音」を耳にすることがありました。
第1回でも記しましたが、私は「スポーツは社会の潤滑油」であると捉えています。しかし、その潤滑油が必要とされる場所には、「摩擦」が存在します。企業がスポーツを支援する華やかな舞台の裏側には、100%の社員が無条件で熱狂する理想郷は存在せず、多様な価値観が交錯する組織においてはスポーツは時として理解の得られない異物にさえなり得ます。
スポーツが社会に根付くためは、スポーツが文化となるには、と私が深く考えるようになったのは20年以上前の海外での経験に遡ります。大学卒業後、私はオーストラリア・シドニーに渡りました。多民族国家・多文化社会であるこの国では様々なコミュニティが共存し、各国のスポーツ文化に触れる機会に恵まれました。シドニーの大学院にてスポーツマネジメントを学ぶ中、世界中から集まる多様な文化的背景を持つ学生たちと出会い、自国のスポーツの発展のために情熱を持った彼らと共に学び、スポーツという共通言語をもとに議論を重ねてきました。
そんな中で、あることに気づきました。スポーツ文化というものは、その国が歩んできた歴史、社会構造、そして人々の価値観という「土壌」の上に初めて花開くものだということです。スポーツと社会がどのように関わり合い、根付いていくのか。仲間たちの母国の事例に触れる中で得たその気づきは、今なお私の土台となっています。
しかし同時に、その素晴らしい事例や仕組みを、そのまま日本に持ち込んでも簡単に根付くものではないと直感しました。日本企業・組織の風土、日本の商習慣、日本の社会課題の理解、この国の『社会の文脈』を肌感覚で理解しなければ、日本でスポーツの発展に貢献することはできない。そう考えた私は、帰国後の進路として様々な業界を考える中で、スポーツ業界や関連する業界ではなく、日本の基幹産業である自動車業界に身を投じました。自社工場や町工場を周って日本が誇るモノづくりの現場に触れ、営業職として日本の企業文化、組織風土の中で日本の商習慣の基礎を学びました。その会社では、当時、バスケットボールの社会人トップリーグで活躍するチームがあり、また、グループ企業、周囲の関連企業を含めると、あらゆる競技で日本を代表するスポーツチームを保有している企業が集まっており、企業スポーツを身近に感じる環境の中で社会人としてのスタートを切りました。
欧米の地域密着型クラブとは異なり、企業という組織の中にスポーツが内包される「企業スポーツ」は、まさに日本の歴史と経済成長という土壌が育んだ特有の文化です。その熱を帯びた現場で、私は二つの景色に出会いました。
一つは、競技を退いた後に社業の第一線で目覚ましい活躍を見せる、元トップアスリートたちの姿です。スポーツで培われた精神や献身的なリーダーシップが、製造や営業の現場に新たな活力を吹き込んでいく。その光景は、スポーツが持つ普遍的な人間力の証明でした。
もう一つは、先述した「スポーツに関心のない社員」という、無視できない存在です。 最も胸を打たれたのは、アスリートたち自身がその冷ややかな視線を誰よりも深く自覚し、謙虚に向き合っていたことでした。彼らは「応援されて当たり前」という特権意識ではなく、いかに職場の仲間に認められ、一人の誠実な同僚として信頼されるかという「泥臭い関係づくり」に自ら取り組んでいました。
試合会場に詰めかける社員たちの声援。それは決して会社から強制されたものではなく、日々の仕事や対話を通じてアスリートたちが自ら手繰り寄せた、尊い「信頼の証」でした。「応援される」ということは、決して当たり前の権利ではありません。 それは、異なる価値観を持つ人々が互いを尊重し、共通の誇りを見出す中で育まれる「文化」なのです。
日本の経済を支える現場の片隅で、私は確かに、スポーツが社会に溶け込み、人々の心を動かす瞬間に立ち会っていました。 あの時の「摩擦」の熱と、少しずつ広がっていった「応援」の景色。 そのすべてが、スポーツが社会の潤滑油として、私がスポーツと社会を繋ぐこの道で生きる理由そのものです。
アンビエンテ合同会社
代表 小川雅史
第一回 『勝ち負けの先にあるもの。アスリートと企業の理念が交差する場所』